2006-07-01から1ヶ月間の記事一覧

part2

自宅のベランダから花火を見るほど味気ないものはない。いくら混んでいても、誰かと浴衣着て見に行きたいじゃないですか。だから別の日に花火を見る予定があっても、その前に独りで花火を見ると何故か悔しい。ビール片手に“キンチョウの夏”気取りなら、話は…

…いずれにせよ、印刷物の表現の世界は「見えないものを見えるようにする」という論理で動いてきた、ということさえ頭に入れておいてもらえれば十分だ。 ところがウェブの世界はそのように作られてはいない。そこではまず「見えるもの」の状態が定かではない…

テレビショッピングの番組で、電波時計が紹介されていた。グリニッジ天文台の基準時間を常に取り込み、時間を修正する時計。それは宣伝文句にいう「常に正確な時計」ではなく、「常に間違う時計」なのだろう。基準時刻が示す刹那を追い求め、絶えずズレ続け…

small planet

すし詰めの車内で身動きが取れないと、気晴らしにつり革広告を眺めてしまうのはごく自然なこと。だからこそ企業は広告を出すわけだけれど、最近目に留まるのはシティバンクの広告に使われた本城直季の『small planet』シリーズ。世間が言うほど興味を示して…

青森

昨日青森から帰ってまいりました。 金曜から東京→八戸→県美→八戸→東京という具合のスケジュール。 私の仲間、photographers' galleryのメンバーたちが 招待作家として出品している「TELOMERIC」展(八戸市立美術館)を見に行くついでに、 先日オープンした青…

Container

もーりす、るいす。 色彩のリミットはどこだろう。 たとえば真ん中のオレンジと重なっている極薄のイエロー。 空間の消失点はどこだろう。 いや作品タイトル《Point of Tranqillity》(1960)に即せば、 「静寂点」か。 空間の消失点、かつ色彩の静寂点。 で…

アーティストは何にせよ独自の世界をつくりだす。 それが一つの真実だとして、そして仮に今のアートがつまらないものだとしたら、そうした世界は(制作者/受容者どちらかによって)極めて矮小化されているか、世界そのものが虚像であるかのいずれかだろう。…

最近のことだが、友人が「写真家には自分が作家だという意識が残っているか」ということを何気なく話題に出した。それは事後的に決定されるものか(歴史化されるときに発生するものか)、すでに写真家に意識化されていたものか。こうした議論もまた古い因習…

西荻窪はニューメキシコのあの風景のように、 ウォルター・デ=マリアの《ライトニング・フィールド》のように、 地上に降り注ぐ花火の群れのように、 けたたましく落雷が降り注ぐ。

ミニマリズム出版計画の会合に出席。 今日のお題は1967年、ワシントン・ギャラリー・オブ・モダン・アートで開催された「A New Aesthetic」展のカタログ分析。この展覧会のトピックを担当することになり、次回までに原稿を書くこととなる。カタログとしては…

昨夜、院の先輩のオオヤマさんに会う。 かれこれ一年以上会ってなかったか。 ギャラリーに来ていただいた後、 近場の沖縄料理を出すバー(?)で話し込む。ラッキョはチャンプルーより単独で食べたかった―― そんな気持ちをいだきつつ、話し込む。 そういえば…

「サラリーマンNEO」、という番組がある。 いわゆるコント番組なのだが、NHKが企画する点がかなり異色で、興味深い。 というのも、単にサラリーマンをテーマにしたコントモノという意味でも 面白いのだが(洗練度の低さ、ネタの古さが逆に味をだしてる)、 …

発表が近いため多少頭の中がスミッソンになりかけてますが、 結構この人写真についての発言も多い。 発表で使おうと思っている《Enantiomorphic Chambers》も ある意味巨大なステレオスコープ。 いや、ステレオスコープを元にしているけど、効果は逆か。 彼…

仕事ちょろちょろ趣味ぱっぱ。 …いやいや、もはやリスクを背負って死ぬ気で趣味。 ところで趣味ってなんだろう。 アーレントさんに意見を乞う。 「生計を立てる」という観点から見ると、労働と関係のないすべての活動力は「趣味」となる。*1 美術をやってい…

週末まで

水曜から四日間、どっぷり打ち合わせの日々。 水曜、スミッソンの内容詰め。担当者と批評のことについて語り合う。 批評家よりも哲学者の作品分析のほうがいい、というのは一面正解、 しかし留保が必要だと僕は思う。それはおそらくリスクの問題。 高見から…

マイケル・フリード『Absorption and Theatricality』第三章。 dramatic conceptionとpastoral conception the realm of the decorative(装飾界?)とthe realm of the imaginary(想像界)の対比、 そしてクロード=ジョゼフ・ヴェルネの《滝の風景と人物…

マシュー

マシュー・バーニーの「クレマスター3」を渋谷アミューズCQNで鑑賞。 実はまだ観ていなかったのです。 象徴の過剰さはあいもかわらず群を抜いていた。一定の理解を逃すと途端に混沌へと陥る感じがある。プロットは巧みに道を示すのだけど、どれもこれもが行…

表象文化論学会に出席。去年の準備大会では、年に一度やってくる大風邪を患ってしまい出席できず。 というわけで今回は是が非でもでてやる、という気概で早朝8時半に到着。 ちょっと、早すぎた。 発表は、意外にこじんまりという感じ。 あいや、スクリーンの…