青森

昨日青森から帰ってまいりました。
金曜から東京→八戸→県美→八戸→東京という具合のスケジュール。
私の仲間、photographers' galleryのメンバーたちが
招待作家として出品している「TELOMERIC」展(八戸市立美術館)を見に行くついでに、
先日オープンした青森県美をみて帰ろうというツアー。


ほぼ3日間、酒と油と魚介類との闘いでした。
いかに飲み干し、いかに蓄積し、いかに特産物をたいらげるか、まさにバトルでした。
それはイコール財布との闘いでもあり………ぐふ。
しかし先に現地入りしていた出品者たちは、すでにそんな酒池肉林を先週の月曜から
一週間ぶっ続けでやっているだけに、僕が到着した頃には皆グロッキー。
…のはずが、到着したその日はオープニングパーティーに始まり、
朝4時過ぎまで、店を4つか5つ替えまし…た(慄)


でも念願の「いちご煮」と「せんべい汁」と「烏賊の腑の沖漬け」を食べられて、そして地酒の「菊駒」も飲めて、とても満足です。あと「ひっつみ鍋」と「ホッケの刺身」を食えれば完璧でした。(みな一品千円を超えるのですヶ℃)


あ、いやいや、それじゃグルメツアーで終わっちゃうので、写真と美術の話はまたのちほど。
しばらくはダイエットメニューに徹します。



ぼくはまだ一度も沖縄に行ったことがない。でも今年になって東松さんや比嘉さんに会い、本山さんや東さん、濱さん父子などに会って、間接的にではあれ、沖縄について考える時間が増えた。今回もまた前島アートセンターの宮城潤さんや岡田有美子さんに会って、沖縄の印象が変わった。なぜあれほどまでに比嘉さんは大和(本州)に対し挑発し、かつ拒否するのか。そして一番衝撃だったのは、岡田さんが語ってくれた沖縄の若い世代の、4,50代の人たちとは違う大和拒絶の仕方だった。彼らはアルバイト先で、もしくは仕事先で、またリゾート地や街中で、「観光に来た人たち」からの仕打ちを必ず一度は受けているという。一方、国土の1%に満たない面積で70%以上の米軍基地を抱えた異常な場ゆえに、米軍兵士たちとの軋轢も他の比ではない。しかし大和の人たちは一向にこの現状を変えようとはしなかった。無視するか、先送りするか、すれ違うか。その事実に若者は皆不満を持っている。結果、彼らは家族写真、集合写真に拒否反応を示した。それは大和の人々が、観光に訪れたときに誰もがみせる行為であり、ひいては「大和のしるし」にまで高められた。「観光地化される」ということ、さらに「観光化される」ということは、政治的、植民地的に場が書き換えられることを意味する。そして観光をする側も、場所の経験を形式主義的に抽象化して、やがて「消費」することになる。その消費様式のひとつが、集合写真であり、家族写真だった。