ソンタグの「キャンプについて」を原書と比較してみると、日本語で「感覚」「感性」「感受性」などと言い表されているものがほぼ「sensibility」という語であることがわかる。日本語で「感覚」というとさらりと流してしまいそうになるものが、「sensibility」とされると、語の物質感というか、目を通すたびにぶつかってくるものがある。例えばマクルーハンもこの語を頻繁に使っていたし、美術批評をしていたバーバラ・ローズも「sensibility of the sixties」という論考を書いたりと、連鎖反応的にみなこの語をよく使う。ただ、今だってよく使っているし、各論者それぞれ違った意味で使っていることもあるから、単純な判断は避けたほうがいいのかもしれない…と考えていて、ふと「翻訳者の使命」が頭によぎった。「死後の生」…。