有坂ゆかりさんの「PARADISE LOST」展を観る。
あわせて岡田聡さんとの対談「再魔術化する世界」をきく。
有坂さんの絵には具象的要素(羊?)が含まれていた。ミルトンの『失楽園』とあわせて制作されただけに、そうした像が組み込まれたんだろう。ただイメージは極めて不鮮明で、輪郭は排除されていた。



戦時中の写真雑誌、『日本写真』を読む。1944年頃になると多くの雑誌は技術的なものと慰問のための記事のふたつが大半を占めるようになる。書き手は評論家から軍関係者と技術者に代わり、報道について、「家族写真」について、新技術について採り上げている。報道写真論は40年代初頭の熱気に比べて落ち着いた感があるが、「家族写真」は少し注目してみる必要がある。なぜ、そのとき「家族写真」なのか?思えば奇妙な採り上げ方だ。グラフ誌のように「祖国ではみな節制して頑張っている」という兵士を鼓舞する表現でもなく、何気ない家族の一風景が写し出されているだけなのだ。アマチュア写真家が単に「平和への希求」として写したにしてはあまりにも作為的だし、そもそも量が多すぎる。このことについてはもっと調べてみたい。



ジャック・ランシエールの著作、『不和あるいは了解なき了解』を注文する。
不和あるいは了解なき了解―政治の哲学は可能か