番外編photographers' gallery講座「ビエンナーレの二つの顔」


この展覧会のカタログ内容に関しては別の場所で書くつもりなので、今回はサイト・スペシフィックを中心に考えてみたいと思う。


まず、前田さんのレクチャーではシンガポールとの比較でサイト・スペシフィックということが議論されたけれど、セビリアビエンナーレのカタログ、および前田さんの発言を聞いている限り、オクウィ・エンヴェゾーのコンセプトの中にサイト・スペシフィックに固執する考えはあまり感じられなかった。奇妙なことだが、エンヴェゾーのテクストには「セビリア」の文字がほとんど出てこない。さらにビエンナーレのテーマも、一地域に特化したものとは言いがたい。エンヴェゾーがたてた「Unhomely」というタイトルには、ハイデガーの論考から「住まう」ということの真の意味を考えることが懸けられていた。移民、難民、ホームレス、拘留、収容所、隔離政策など、それぞれ仮設的な住居で「封じ込め」られている人々に対して、否定的にではなく肯定的かつ批評的に捉えるならば、そこから「距離」に関する問題提起ができるのではないか、そうエンヴェゾーは考えたからだ。もちろんこの「距離」とは人と人との関係性、そしてその関係性を策定する領域に関するものだ。だから「親密性(Intimacy)」、「近接性(Proximity)」、「隣人性(Neighborliness)」といったキータームが登場してくる。セビリアという特種な場の問題を持ち込むことはエンヴェゾーの考えにはないし、グローバリゼーションをテーマにしていたドクメンタXIの頃からそれは一貫している。彼はドクメンタ開催一年前から「プラットフォーム」と名づけられた討論会を世界各地で開いており、ドクメンタXIはそのうちの5番目に位置づけられていた。それが成功したかしなかったかは別としても、テーマの性格上、カッセルという地を特別視しなかったわけだ。


エンヴェゾーのこうした傾向にもかかわらず、サイト・スペシフィックをあえて問題にするならば、セビリアが政治的・宗教的に変動が激しかったこと、その中でユダヤ人という存在が影で迫害されていた事実を挙げるべきだろう。セビリアレコンキスタの終局地である。キリスト教徒が後ウマイヤ朝を打ち倒すときにはポグロムが起こっており、ゲットーに押し込められていたユダヤ人は軍人たちの士気を高めるためだけに虐殺された。抑圧の歴史、ゲットーの名残は都市構造にそのまま残っている。エンヴェゾーが野外展示をまったく行わなかったこと、そして参加型の作品を選択しなかったことは重要な意味を含んでいるように思える。さらに抑圧や拘留を想起させる作品が多く出品されていたことも指摘すべきことだろう。


ところでエンヴェゾーは先の三つのタームのうち最後の「隣人性」に可能性を見出しているようだが、その論調は昨今のネオ・リベラリズムの思想につながる部分がある。特にネグリ&ハート。「例外状態」への言及、<帝国>的な主権構造の認識など、かなり『<帝国>』や『マルチチュード』に共通する部分がある。そう考えると、エンヴェゾーの「隣人性」は『マルチチュード』の結論部分で述べられている「政治概念としての<愛>」に接近しているとも言える。ただ多少異なっている部分があるとすれば、エンヴェゾーのそれは分散型の多数性ではなく、より身近で等身大のものだということだ。具体的な美術作品を扱うコンセプトとしては妥当な選択かもしれない。*1


サイト・スペシフィックがビエンナーレなど国際展に必ず持ち出されるようになったのがいつ頃かは定かではないが、おおむね90年代以降だろう。ヴェネチア・ビエンナーレがサイト・スペシフィックなど問題にしていないというのは明らかだが、それはヴェネチアがマーケットに連動しており(バーゼル・アートフェアはほぼ同時期の開催)、かつコンペ形式をとっていることに起因している。見本市にサイト・スペシフィックは障害でしかない。むしろ今までアートが主流ではなかったアジアや南米へ国際展を持ち込む際に、ひとつの手段となったのがサイト・スペシフィックである。これはキュレイターシップの悪しき弊害といえるだろう。


サイト・スペシフィックが登場した経緯はホワイトキューブに対する批判的言説が発端であり、その意味で言えばロバート・モリスをはじめとするミニマル・アートが大きな役割を担ったと言えるが、現在よく使われているのはむしろ60年代後半からのランド・アート(もしくはアースワーク)、その後のパブリック・アートだろう。サイト・スペシフィックは、その「場に特殊な」要素を引き出し、まわりの環境を巻き込んで文脈を組み替えることが目指されている。しかし、とりわけ都市においては環境のコードが明確になっていなければ提起するメッセージの効力が発揮されないため、単に表層的なプロジェクトは失敗することが多い。*2世界各地に増え続ける国際展でたびたびサイト・スペシフィックが持ち出されるのは、安易に野外展示を推奨するからだろう。それは作品と環境との齟齬が起きているためなのだが、それ以上にキュレイションにおいて対象とされているのが誰なのかが不明確である、ということも問題である。たとえばアジア圏で開催される場合、訪れる人はたいてい観光客だ。観光客は感覚的に現地観光と重ねて観ている。彼らが求めているのは単に美術作品だけでなく、それが置かれている土地の文化も抱き合わせで見ていることが多い。だから知っている作家、知っている作品形式に出会うと途端に幻滅する。また身近に感じていない文化であるために、そこに問題提起をはらんだ作品が関わっていたとしても違和感が増すだけだ。シンガポールビエンナーレの場合の草間弥生がそれだ。木々に巻かれた紅白の水玉はダニエル・ビュランの水玉ヴァージョンにも思えてくるが、草間の経緯を考えるとそれほどパブリックな提言があるようには思えない。また他の作品では現地の人たちからも理解されずにいたという話を聞くと、では一体誰に向けられたテーマだったのか首を傾げてしまう。


もうちょっと続く予定。

*1:ネグリには昨年フランスから出版された『Art et Multitude』という著書がある。「9つの手紙」と副題がついていることから断片的なもののようだが、マルチチュードとアートとの関連がわかるかもしれない。現在取り寄せ中なので、内容は後日。ちなみに邦訳は月曜社から近刊予定とのこと。

*2:こうした失敗例をプロップ・アートという。プロップplopは物が落ちたときに使う擬音語だが、パブリック・アートの駄作を揶揄したスラングとして欧米で使われている。