「人間と物質」

1970年の「人間と物質」展の発表をきく。
第10回東京ビエンナーレに題されたタイトルだが、問題の中心は「between」であり、プロセスであり、素材は多様だが大枠でコンセプチュアル・アートの展覧会だった。コンセプチュアルであることは、作家だけではなく展覧会自身、そして出版された展覧会カタログにも反映されている。カタログは二分冊発行されていて、会期前(コンセプト)と会期後(ドキュメント)、その間に実際の展覧会が挟み込まれる形になっている、と現在の視点からはみえる。


会期前の冊子(表紙:中平卓馬)は作家にページが割り当てられて作品のコンセプトが記載されているが、人によっては「未定」の表記のみだったり、注意書きとして「この部分はかならず破いてください」と書かれていたり、かなり自由な体裁で編集されている。手法はハラルド・ゼーマンの「when attitudes became form」を真似ているのは明らかだが、こうした傾向は作家の言葉を掲載し始めた60年代後半のカタログ方式が前面化した結果ととることもできる。しかしそれは欧米での反応であって、国内ではどうなっていたのだろうか。読売アンパンとの関連性が指摘されたけれど、カタログは焦点化されなかった。


ドキュメントとしての写真が並べられた会期後のカタログは、当時の展示模様を伝える数少ない資料となっている。議論ではこの写真が作品制作の一部に組み込まれていること、しかし写真は作品を平板化してしまうこと、また撮影した写真家によって全く別の作品体験をもたらすということ、アーカイヴ化の欲望と危険性、神話化などが指摘された。議論していて、この辺はもう少し煮詰めて論じたほうがいいという感じもした。このままで終わると短絡的な結論になりがちだから。


コンセプチュアル・アートはまさにコンセプトであるが故に場所を選ばない、ということは決してなく、かなり展示スペースに依存している印象を受ける。もしコンセプトのみでいいなら、大岡信が指摘したようにカタログで終らせればいいはずだ。だからこの展覧会が「巡回」したことは結構重要なんじゃないか。


別件だけどこの国際展の翌年に針生一郎が企画した「人間と自然」展も気になる。
カタログの写真を見続けていて、やっぱりアルテ・ポーヴェラ(ファブロとかペノーネ)は写真ぬきには語れないところがあるなぁ、と思った。


さて国際展、ということで来年はヴェネチア・ビエンナーレドクメンタが同時期に開催されるという10年に一度の機会です。行ってみますか?
ヴェネチア:6/10-11/21、ドクメンタ:6/16-9/23)