post digigraphy

 そういえば最近東京都写真美術館で「ポスト・デジグラフィ」展を見に行きました。仕事の後に行ったこともあってほんの1時間も見ることはできなかったのだけど、この展覧会の主旨は「ポスト」ではなくあくまで「デジグラフィ」であるという印象を受けました。それはどのような経緯をたどっても「ポスト」と名のつくものは母体である概念の後ではなく相補関係という側面を有していると思うからなのだけど、「デジグラフィ」はそれ自体が「フォトグラフィ」のポスト的な経緯をたどっているような気がする。だとすれば「デジグラフィ」に「ポスト」がつくのは入れ子状態の様相を呈することになる。


 本展はデジグラフィの定義を次のように行っている。「制作・記録・鑑賞プロセスにデジタルテクノロジーを用いたもの/コンピュータ以前においてもデジタル的概念をもとに取り組まれている表現・技術」。展示の冒頭では16世紀のアナモルフォーズがあり、かつ向かい側には森村泰昌の巨大なディプティックが観客を見下ろしている。その点で「デジグラフィ」がかなりのスパンで連綿と続いてきたことを示しているのだが、用語を生み出した飯沢氏の書籍では、対象はあくまで今までの写真、つまり静止画像を指していたのではなかっただろうか。本展の展示作品は動画、およびインタラクティヴ・コミュニケーションのためのツールが大半を占めている。その是非を問うわけではないが、一般に言われている(かどうかは分からないが、少なくとも私のイメージとしての)「デジグラフィ」とはかなり異なったものであったことは確かだ。飯沢氏が挙げる「デジグラファー」は森村くらいしか見当たらない。私見だが、企画者は「デジグラフィ」を写真から発した限定的なものとしてではなく、字義通りの「デジタル・グラフィックス」まで拡大解釈して作品選定を行っている。そこまでたどり着けば、ICAの「サイバネティック・セレンディピティ」展でさえ接続することは容易である。何か写真美術館で開催する名目をつくるために導入されたとも思えるほどに、本展は強引さが目に付く。もしNTTのICCに巡回するなら「アート&テクノロジー」展と改題して行った方がいいくらいだ。


この展覧会のタイトルについてはこのぐらいにして、興味深いのは60年代の「アート&テクノロジー」の関係、およびその動向。食い入るように見てしまった発端は単純で、たまたま洋書店で「Software」(1970, ジューイッシュ美術館)展のカタログを扱っていたからなのでした。



「SOFTWARE」展カタログ。



よく見るとマウスたちが…。


書きかけ。明日に回します。