’95

スタジオヴォイスの「シャッター&ラヴ」特集号を古本屋で購入。



直下型の大きな地震が祖母のいる大阪に近い場所で起こり、
まだ一度も乗ったことのない東京の地下鉄で発生した事件が報道され、
やがて僕は中学を卒業し、校則がほとんどないと噂の男子校へ、
家が近いという単純な理由で進学した。
そのときに感じられるリアリティなんて、
薄っぺらくて質の悪い藁半紙ほどでしかなかった。


だからさびれ始めた地方都市の書店でスタジオボイスが売っていたからといって、
とりたてて興味を抱くほどのものでもなかったのだ。
もちろん「写真のX世代」にも「写真の終末」にも意味はない。
勝手にしやがれってなもんで、ゴダールを観て考えることはあっても、
長島有里枝は時代を変えたか」どうかなんて、議論にすらならない。
僕らの中ではそもそも始まってさえいなかったからだ。


どういうわけか、その時友人と議論していたのは村上龍
限りなく透明に近いブルー』や『愛と幻想のファシズム』で、
「ナンセンス」と「ハッシシ」という言葉を無意味に覚えこんだ。
ともかく、いつか皆で福生に行ってみよう。
そんな話題を肴にして、
スマッシング・パンプキンスやニルヴァーナを聴きながら
中古のギターやベースを見よう見真似でかき鳴らし、
あとは部活のバスケに明け暮れる、けだるい夏の日常。
一念発起、一時間半かけて新宿まで出て、中央線で立川へ。そして、青梅線に乗り換える。
果たして夏の残余は空の薬きょうが数個、思い出なんてそんなものだ。


デジタルカメラが登場したのはこの頃だというが、
もちろん誰も持っていなかったから、記憶に残るはずもない。
むしろ話題はWindows95の発売の方だった。
友人の一人がパソコンオタクで、
わざわざ海外から部品を取り寄せたり
秋葉原に行ってDOS-Vを組み立てたりしていた。
僕も叔父が外資系のコンピュータ会社だったせいもあって
パソコンは持っていたが、ベーシックなるものがイマイチ理解できず、
分厚い説明書を放り投げてしまって部屋の片隅でほこりをかぶる有様。
Windowsの登場は画期的だったが、こんどはインターネットの接続に苦戦し、
結局大学入学までパソコンはお蔵入りとなるのでした。


秋ごろの僕らの話題はもっぱらエヴァンゲリオンに捧げられた。
そういったものにハマリやすい年頃なのか、僕らのおつむが足りないのか、
ペダンティックエヴァに魅入られた。おかげで旧約聖書をはじめ、
キルケゴールフロイトまでかじってあれやこれやとふれ回った。
多分これは男子校だからなのかもしれない。
女子の手前、共学じゃありえない現象だなと今では思う。


エヴァが放送終了して一年後、つまり97年の春、
スタジオヴォイスでもエヴァ特集が組まれることになる。
たぶん、映画化が拍車をかけたんだろう。
あのドラッグ・ムーヴィーは2度見ることで格段の麻薬効果をあげた。
ドラッグ・ムーヴィーといえば当時トレインスポッティングが印象的で、
ユアンの便器突入は語り草だったけど、
エヴァのそれはシアトリカルに、僕ら自身に働きかけた。
最終的に一つになることを拒絶した一人のシンジってのは納得できる話で、
この手の物語では意外に多い結末だった。


ふりかえるのもおぞましく思えるけれど、
世紀末への加速を確実に意識し始めた、
95年という強度のある時間域を何かの形で清算しなければ、
という気持ちが今でも残っている。
なかば千年王国論が流布した、西洋中世の一時期を考えるように、
僕の中では遠く隔たった、でも確かに亀裂を生み出した11年前。
あのときつるんだ仲間も、もう何人かはこの世からいなくなってしまった。
信じられないくらい、急に、ばたばたと。
事後的な分析によって95年は益々僕の中で意味を持ち始めている。
その意味ってなんだろう。
10年後くらいまでには、なんとかけりをつけてやりたい。