エッセイなのか批評なのか、展評なのか感想文なのか、批判したいのか自分をかばいたいのか。その辺のあいまいな文章が、なし崩し的に印刷媒体にのって他人を傷つける、そんな現場をみた。軽い情報誌には、実際多いことかもしれない。

丸山は、わたしたちの思想的な土壌が、ひとりの「独創」的な思想家を生み出すにはあまりに未熟であり、私たちの間で流布している「独創」性のごときものは、ただ無知と性急からくるごうまんにすぎないということを熟知しているし、わたしたちのあいだで「学者」と称するものが、箸にも棒にもかからぬ連中で、たゆみない実証的な探索の果てに、事物の像がおのずからうきあがってくるのを待ちきれず、文献の中に小さく挫折するか、あるいは素人にも容易く手に入る知識をかきあつめて、ひとかどの学者づらをしているジャーナリストにすぎないことを知りつくしている。*1

*1:吉本隆明 『柳田国男論・丸山真男論』 ちくま学芸文庫、240頁。