吉本隆明による丸山真男
読書メモ
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眼に視える対立の中に分解の萌芽があり、ひとつの学派のなかに、それ自体を否定する核があらわれるというような図式は、よくよくかんがえたうえで行使しなければ「思想」の歴史は、予定調和への波瀾はあるが一路平安な行路と化し、宗教に転落する。*1
これはよくよく考えなければならない。穿った者ほど陥りやすい論理の罠だ。
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ひとは、「生活」によって大衆であるとき、その「思想」を現実的な体験のうしろにおしかくす。また、「思想」によって知識人であるとき、その現実的な体験を「思想」のうしろにおしかくす。わたしたちはたれも大なり小なり総体的な存在である。そして、大なり小なり「思想」か、あるいは「生活」かによって生きる。戦争体験は、丸山にとって、おそらく、唯一の生活史上の波瀾であった。*2
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「つまりいまの教育の仕方をみていますと、大体からいってファッシズム的な本を読ませないでおいて、デモクラシーを読ませる。デモクラシーが教科書なんです。ファッシズムの本を教科書に使わして、そして、そいつを批判してゆくのではない。それでは、ファッシズムは克服されない。」
丸山真男「日本の思想における軍隊の役割」
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ひとは理念によって残虐であることはできない。*3
残虐は「生活史」の交通が、他の生活史の抹消によっておこなわれざるをえないところで起こる。*4
丸山真男の天皇制分析の最も著しい特徴は、日本において近代国家の形成の過程で、国家主権の技術化、中性化がおこなわれず、国家が「国体」として真善美の内容的価値を占有する実体として保存せられたという観点にある。*5
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たれも他の言論の「自由」を阻害することなしに、自己の言論の「自由」をつらぬきえないことの理由は、個々的な要因のなかによりもよりおおく、階級社会そのもののなかに客観的に存在している。*6
これを敷衍すれば、マルチ・カルチュラリズムの矛盾をみることになる。だれも他者を阻害することなしに自文化の自由を主張しえない。わたしたちは必ず何らかの文化圏に所属しているはずであり、文化間の等価な価値など、超越的な視点をもってしか把握しえない。それでもなお文化の壁を取り払おうとすれば、もはや文化間の差異は存在しなくなってしまう。「文化」の消滅である。
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「民主主義」知識人たちの情況のイメージが斜めに外れるのは、根源的な理由をもっている。
そのもっともおおきなひとつは、かれらのたかだか十七、八年まえの戦争体験が、天皇制→戦争の惨禍→右翼というように、恐怖の矢を結びつけるからである。そして、このようなイメージを促すのは、戦争期における日本知識人の二重性――抵抗もしなければ、のめりこみもしない――の体験によっている。*7
ここに丸山真男と橋川文三との分岐がある。上記のような二重性を抱えた不定形な丸山、そして日本的ファシズムに「イカレタ」経験を持つ橋川。それゆえ保田与重郎の天皇制解釈にたいし、国学的農本主義という分析を橋川がなしえたといえる。
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戦時下、天皇制イデオロギーのもっとも根幹的な部分は、現実の支配体系としての天皇制や、そのイデオロギーが消滅すると否とにかかわらず、大衆の存在様式のなかに変化しながら残存して流れるものであった。*8
本当だろうか。このような視点は吉本の「幻想共同論」に通呈するものだ。真偽は実証的研究の参照をまたなければならない。
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