知人の奥村雄樹さんの映像作品、《A Day in the Life of Spitting (version 2006)》を視聴する。まずは作品それ自体よりもNYCにいる奥村さんの「今」を観察してしまう。あ、元気そうだ。


読んで字のごとく、一日のつばを溜めるというコンセプト。最後に携帯コンロとフライパンを取り出し、溜まったつばを煮る。そして残ったもの。たぶん、これが彼の一日の痕跡。今流行りの「成分分析」のように、彼のその日の成分が地図のようにフライパンに広がっている。映像ではあるけれど匂い立つような感覚に襲われるのは、それが身体の外部に出ることでたちまちおぞましき排泄物になる「分泌物」であり、排泄と摂取の両面持ち合わせた奇妙な存在だからだ。たとえば飲み残しのペットボトルは、その中にわずかに混入しているはずの唾液を想像して、時間的距離があけばあくほど意識の中で“汚水”に近づいてゆく(もちろん細菌が繁殖する意味で衛生面からも汚水に近づいている)。しかしその汚水はまた、かつて自らの一部であったことも確かだ。なんにせよこれは彼のセルフ・ポートレイトである。



この作品は6年前に作ったものの2006年バージョンらしく、二つを見比べてみると変化(まず髪の毛だけど)を感じる。ファーストのほうが煮るとき良く泡立ってるのは、若さゆえ?それを比較する意味でも50年後まで続けて欲しい。いや、続けてこその作品だと思う。