芸術の政治化

ベンヤミンの引用でよく用いられる次のフレーズ。

ファシズムの推進する政治の耽美主義は、そういうところまでに来ているのだ。コミュニズムはこれにたいして、芸術の政治化をもって答えるだろう。*1


「政治の耽美主義」ないし「美学化」は前段からの流れでいいとして、それの対となっている「芸術の政治化」という内容が、一読しただけでは分からなかった。そして実際、皆このことをうまく説明しえていないんじゃないか、と思う*2。『SITE ZERO/ZERO SITE』でもそのことが触れられていて、「この身体を中心とした「政治のエステティクス」において再解釈されなければならない」*3と田中氏は語っている。たぶんバタイユ的な「低さ」、最終的に「不定形」に関わっており、そこに一つの抵抗点を見出すことなのかもしれない。アガンベン的なゼネスト、ということなのか。


一度次のようなことを考えたことがある。上記のベンヤミンをもじって、「『生活の美学化』ではなく、『美学の生活化』でなければならないとすれば、それはどういうことか」。


underconstruction...

*1:ヴァルター・ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』

*2:それはただ僕の脳が追いついていないだけかもしれないが、なにかこう、確信のようなものが沸かない

*3:田中純エステティクスの臨界」『SITE ZERO/ZERO SITE』0号、2006年、31頁。