Anita Witek


カメラ・オーストリア94号に掲載された
アニタ・ウィテックのインタビューについて。


彼女はウィーンとロンドンを拠点に活動するアーティストで、主にスライド・プロジェクションの作品を多数制作している。まずこのインタビューで話題にあがっているのは《レイチェルとヒューズ》(1999)で、1997年9月5日、イギリス・ヨークシャー州で発生した殺人事件の裁判において、証拠として提出されたCCTV(Closed-Circuit Television)の映像を題材にしている。この映像はキッズ・オンラインというサイトで紹介され、もっぱら監視カメラの重要性を喧伝する材料となっているが、ウィテックが注目したのは、監視者がいかに映像を見、解釈するかであり、ひとつなぎの映像から二つの場面を抜き出して並べることによって、犯罪立証の証拠として成立するさまを示している。

http://www.1in12.go-legend.net/publications/cctv/rachel/rachel.htm


上記のサイトが「KIDS」だが、ウィテックはここから「Dixon Hall footage 1」と「3」の画像をとりだしている。彼女の意図は、4人の観者におこなったという質問の内容からも明らかだ。

「ここに映っているのはどんな場所でしょうか?」
「この二人の人物がわたしたちに語るものとは何でしょうか?」
「この二つの画像の組み合わせから連想されるものはなんですか?」


ウィテックのほかの作品、例えば《ビフォー・アンド・アフター》(2003-2006)にしてもそうだが、いくつかの画像の組み合わせによってある特殊な文脈が発生する、という映画的な問題に焦点を当てている。しかし、どのようなプロットを生み出すかは観者にゆだねられており、状況が変われば同じ人物でも違った文脈を作り出す可能性は十分ある。そういう意味では、映画的というよりも組写真の問題圏に隣接している。


ベルティヨン法の話題を出しつつ、ウィテックはカメラ、監視カメラ、そしてアイ・スキャナーによって人々の測定・管理が行なわれている現状を語る。認識ソフトによって諸特徴が抽出され、該当する人物には警告を発するという管理システム。イギリスではすでにCCTV設置が犯罪予防のための予算の7割以上を占めているというが、過剰に相互監視を合法化するこの国に住む者として、ウィテックが関心を示したのは当然の成り行きだったのかもしれない。性犯罪の前科がある者は、その経歴を近隣の住民に明かさなければならないという法律が施行された、というニュースも流れてくるくらいだ。それは容易に周囲の監視を招く。


《ある日の360°》(2002)は自らが前科者であるかのように、私生活を全方位で監視される様をシュミレーションした写真作品である。ただここでは、「窃視」というよりもどこか演出されていて、被観察者は見られることを自ら演じているのではないかとすら思わせてしまう。そこにまた新たな論点が浮かび上がってくる。