『銃後の戦果』

戦中期の写真雑誌を調べていて思ったのだが、大衆の写真は、これはピクトリアリズムかと思うほど演劇的で、言葉での説明をほとんど要しないものが多い。それに比べて皇族の写真は、なんと対照的なことか。一種のコンセプチュアリズムに近い。厳粛に、かつスナップショット的に。この対比はけっこう面白いかもしれない。つまりそれが政治や宗教にどんな影響をもたらしているのか、という観点からも、二つの効果測定が必要かも。



〜写真雑誌から抜粋〜

写真も亦兵器
    編集者の言  写真協会常務理事 稲葉熊野
 写真術が発明されて百有余年、今日ほど写真が国家の要請に応へて活発なる働きをしている例は全くない。苛烈なる決戦下にあって写真が軍用、学術、厚生等戦力増強の各分野に於いて如何に偉大なる陰の功績をあげつつあるかはしばらく措いて、我が啓発宣伝戦に於いて、かくも華々しく写真が登場し来たったことは、それが未だわれわれが期待する水準より遥かに低いものであるとしても、大いに刮目に値することと思ふ。宣伝戦場裡に於ける写真の登場──それは写真のもつ宣伝武器としての数々の特性──真実性(嘘がない)、直観性(見れば直ぐ分る)、国際性(文字を必要としない)、持続性(形のある限り宣伝力を保有する)、浸透性(文化施設のない如何なる僻地にも行き渡る)──によるが、同時にこの特性を政府の要路者が明確に認識し、力強くこれを採り上げた勇断に負ふ處甚大である。その最も端的なる実例として支那事変勃発の翌年には政府は国民の啓発宣伝を目的として週報の姉妹誌として写真週報を発刊し、同時に写真による対内外宣伝実施機関としてわが写真協会を創立、更に翌十四年にはこれを財団法人に改組し以来今日に至るまでこれが指導育成に当てられつつある事実を見ても明らかな處である。今日わが写真協会は情報局の積極的直接的指導下、報道に於ける同盟通信社、放送に於ける日本放送協会、映画に於ける日本映画社と共に相携へ国内啓発宣伝は勿論、大東亜共栄各国、独伊枢軸国、第三国及敵国に対し活発なる宣伝を行なっているのであって、情報局がこの四つの宣伝機関を指導して激化する国際宣伝戦場裡に幾多の大戦果を挙げつつある事実は一般国民の余り存知せざる處とは云へ、実に著大なものであって到底他国の追随し得ざる規範の大と運営の妙を得ているのである。
   情報局監修『銃後の戦果』目黒書店、昭和十九(1944)年。