北島さんの授業に潜り、早稲田にてアラン・レネ『夜と霧』を見る。
すべてに凝視するしかなかったが、凝視しても想像力を働かせるだけの余裕はなかった。以前から人が死ぬリアリティは死体を見ることで得られるのか、という疑問があったけれど、どうやらそうではないらしい。生首が山積みにされたバケツを見ても、ブルトーザーで押し出された死体が巨大な穴に転げ落ちる様を見ても、映像に侵された眼はスペクタクルに回収して、衝撃を商品化された恐怖に平板化してしまう。


ジャン・ケロールはナレーションで自問ともとれる警告を繰り返し発し続ける。
「映像はここで起こったことを見せることができるのか?」
起こったことはインデックスではない。だが穴はあいている。
この穴はなんだ。